「カードを奪われた私は、以来、自己経済管理制のもとに生きている。つまり、自分で稼いで自分で消費する。しかし未だに、「お金というのは決してなくならない」と心のどこかで信じている。銀行口座が1000円未満になっても。数週間先まで振り込み予定がないときでも。私は確実にお金に対して何かを学び損ね、勘違いしたまま生きている。
好むと好まざるとにかかわらず、私たちは一生お金とつきあっていかねばならない。そんなことに改めて気づきちょっと途方に暮れる。ものすごく好きだった恋人と別れることがあるのに、さして好きでもないお金とはつきあい続けなければならない。」
角田光代『しあわせのねだん』より
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ぼくの手には今、500円玉が1枚、握られています。
今晩の晩御飯代です。
妻は友人と呑みに行きました。
こういう時、ぼくには楽しみにしていることがあります。
マックのハンバーガーとポテトをつまみにハイボールを飲む、ということです。
なので今回も、マックに行くことにしました。
ぼくのお気に入りは、サムライマックのダブル肉厚ビーフのセットです。ワンコインでは買えませんが、ここでは500円で買えたということにしておきましょう。お会計をすませ、受け渡しカウンターの前に移動し、モニターに自分の番号が表示されるのをそわそわと待ちます。遠距離恋愛中の恋人を駅の改札で待つような気持ちです(ちなみにそういう経験はありません)。
そしてついに、ぼくの番号がモニターに。はやる気持ちを抑え、ぼくはダブル肉厚ビーフのセットが入った紙袋を、笑顔の店員さんから受け取ります。
「ありがとうございましたあ」
あくまで平常心を装い、紙袋の温もりを手のひらに感じながら、ぼくはマックを後にします。心の中ではもう、ハンバーガーとポテトとハイボールのことしか考えていません。
でも、家に帰るまでがマック、家に帰るまでがマック。ぜったいに死ねない。車のハンドルを握り、アクセルを踏みます。
しかし時間帯が悪かった。帰宅ラッシュに巻き込まれ、いくつもの信号で足止めされる。早く家に帰りたいのか、急な車線変更をする車、急な加速をする車が目立ちます。いやでも安全第一、安全第一、家に帰るまでマック。おれはおまえらのようにはならないゾと甘い誘惑を退け、とろとろと軽トラを運転します。
そして、ついに帰宅。
早足で家に駆け込み、キャットたちにごはんを献上し、ぼくもいそいそとハイボールを用意し、マックの紙袋を携え、満を辞してこたつに入り、正座する。両手を合わせ心を込めて、いただきます。
まずはポテトを一本、ハイボールで流し込む、うまい。
つぎにバーガーを一口、ハイボールで流し込む、うまい。
食べる、飲む、うまい。たべる、のむ、うぅんまあい。
無言で、ただひたらすらに、食らい続ける。
あっと言う間に完食完飲。再び両手を合わせ心をこめて、ごちそうさまでした。
ああ、今日も、サイコウだったあ。
でも妻が帰ってきたらまた言われるんだろうな。
「なに、またマック行ったの?」ってさ。
でも、いいんだ。
おれはいいのさ、それでも。
なぜって?
しあわせだからなんじゃないかな。
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長らく僕は「お金」アレルギーでした。
お金のことを考えるのが嫌い、でもお金がないと生きていけない、そんなことはない、お金がなくても生きていける、お金よりも大切なものが世の中にはあるはず、たとえば愛とか平和とか友達とか、だからお金は嫌い、お金持ちが嫌い、お金にまかせてなんでもかんでも解決しようとする人間が嫌い。資本主義が嫌い。
嫌いは、つまり、怖い、ということ。
「お金のことを考えるのが怖い〈…〉だからお金は怖い、お金持ちが怖い、お金にまかせてなんでもかんでも解決しようとする人間が怖い。資本主義が怖い。」
僕は、とくに貧乏でもなくとくに裕福でもない家庭に生まれました。
お金のやりくりをしていた母の苦労がどれほどのものだったかわかりませんが、少なくとも当時、僕は一度も、お金に困った、という気持ちを抱いたことはなかったと思います。
高校も行かせてもらったし、大学にも行かせてもらった。一人暮らしもさせてくれた。たぶん、一人暮らしの時に、僕はお金について何か大切なことを学ぶべきだったんです。
でも幸か不幸か「学び損ね」てしまった。
長きに渡って経済的に支援し続けてくれた両親には感謝しかありません。
この歳になってようやく僕は「お金」アレルギーを少しずつですが克服しつつあります。
自分で稼いだお金を使う経験をちょっとずつ重ね、お金がないということのじりじりとした不安にさらされ、ちょっとしたことでもお金を使うことに喜びを感じれるようになった。ひとりで食べるマックの晩御飯のように。
ようやく「お金」による「しあわせ」があると認められるようになってきた。
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僕たちは「お金」を稼ぐために働きます。働いて、その対価として「お金」を得る。その「お金」を使って、僕たちは生活します。食べ物を買い、服を買い、家賃や水道光熱費を支払い、税金や保険料を支払う。余ったお金は、楽しみのために使う。あるいは貯金したり、投資に回す。もしかすると、募金したり寄付したりもするかもしれない。
衣食住を満たし、衣食住を飾るために、僕たちは「お金」をいろんなかたちで使います。それは「しあわせ」に結びつくかもしれないし、結びつかないかもしれない。それでも僕たちは「お金」を使い続けなければならない。使い続けなければ生きていくことはできない。つまり、何かしらの手段によって「お金」を得続けなければならない。そして現時点でもっとも開かれているその手段が「働くこと」です(そこは、そこだけは、開かれていなければならないと僕は思います)。
働かなければ生きていけない、というのは、働かなければ(お金を得ることはできないから)生きていけない、ということです。
逆に、働かなくても生きていける、というのは、働かなくても(お金を得ることはできるから)生きていける、ということです。
どっちが正しんでしょう?
僕には、わかりません。
僕に言えることがあるとすれば、それは、自分にとって「お金」は何色なのか考えてみてから、どっちを選ぶか決めても遅くないんじゃないか、ということです。
僕も、自分にとって「お金」が何色なのかわかりません。
なので次回から、「衣食住」という地図を頼りに、「お金」の色について考えるための材料を探しに、出かけたいと思います。
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最初はどこに行こう。
ここは順当に「衣」の方へ向かおうか。
Writer:RINGO BASE スタッフ あつし