ナンニモシナイ。
その言葉は、群れから逸れた一匹の草食動物のようでした。
最初はひどく怯え、茂みに隠れてじっと、こちらの様子を窺っていました。
耳をそばだて、こちらの一挙一動に、びくりと体を震わせていました。
珍しい生き物だったので、ぼくらも思わず食い入るように見てしまいましたが、怖がらせたくなかった。とりあえず、離れたところで、休むことにしました。
ある人は眠り、ある人はぼーっと流れる雲を眺め、ある人は食べて呑み、ある人は音楽を奏で、ある人は本を読み、ある人とある人は、おしゃべりをしていました。
すると、その生き物は、少しずつゆっくりと、こちらに近づいてきました。
ぼくらは、気づかないふりをして、それぞれの時間を味わい、楽しみました。
火を囲んで夕食を食べ、おしゃべりに興じ、寝支度をするぼくらを、その生き物は近くから、興味津々に、見ていました。
もうそこに、怯えの色は、ありませんでした。
みんな寝静まり、ひとり、ぼくは、揺れる火を、眺めていました。
気配を感じ、振り向くと、その生き物が、近くに、いました。
その瞳は、闇夜のように、どこまでも透き通って、輝いていました。
「いっしょにどうだい?」
問いかけると、その生き物は、んるるると鼻を鳴らし、ぼくのそばに、座りました。
そして、いっしょに、揺れる火を、眺めました。
その生き物を、ぼくは、初めて見ました。
なのにとても、懐かしかった。
「きみはいったいなにものなの?」
答えは、返ってきません。それはもう、眠っていました。
夜が明けたら、探しに行こう。
そう、思いました。
その生き物の正体を。
みんなで、いっしょに。
失われた
ナンニモシナイを
求めて。
***
冬が終わり、春が訪れようとしています。
りんご畑が雪に閉ざされている間、なにをしよう、と考えていました。
ずっと、考えていました。
こたつに埋もれながら、読んでいるうちに、眠たくなってしまうような、そんな読み物を作ろうと思いました。
ナンニモシナイの不思議に漂うような、行き先はわからないけど、とりあえず、波の揺らぎに身を任せて進むような、そんな言葉を集めたいと思いました。
失われたナンニモシナイを求めて、長い旅をしたいなと、思いました。
マルセル・プルーストが、とても長い書物を書きながら、失われた時を求めて、虚構と現実のあわいを、漂っていたように。
RINGO BASEは、旅に出ます。
いろいろな人たちのところに行って、ナンニモシナイをめぐる、いろいろな話を聞く旅に。
終わりのない、旅に。