りんごの収穫間近になると、鳥がたくさんりんご畑にやってきます。特に熟した赤い実が狙い目のようなのですが、ひとつをまるまる食べれば良いのに、少しずつ数個ついばむやつもいるのです。
商品として出すので、とてももったいない気持ちになる一方、「まあ、全く食べられないのもなんか寂しいしいいか。」と、ほんの少しだけ、誇らしい気持ちにさせてもらっています。
そして、集まるのは鳥だけではありません。ミミズやネズミ、蛇や猫、人間も集まります。実の成る木のそばには、いろんな生き物が集まることを、りんご畑では実感できるのです。
ただ、通常は「林檎」ではなく、ひらがなの「りんご」を使うのが一般的のようです。色々と調べてみると、「青森県りんご協会」「りんご研究所」「青森県りんご対策協議会」「りんご娘」などなど。
私も普段は「りんご」と、ひらがなの方を使います。ただ、「林檎」の成り立ちが好きなので、固有名詞をつけたりするときは漢字の「林檎」を使うことも多くあります。たとえば、「ヒビノス林檎園」なんかがそうです。
漢字の「林檎」のような場所に、りんご畑をしていきたいなぁと日々考えています。
まだ目指したい「りんご畑」の姿がはっきりと浮かんでいるわけではありませんが、「転んでも大丈夫なんだなぁ」と思える場所にはしていきたいです。
及第点ぎりぎりの水準でりんご畑を管理しているのですが、それでもりんごは毎年実をつけてくれます。その姿に、毎年背中を押してもらっているのです。そんなりんごの姿に憧れてなのか、それだけではないかもしれませんが、りんご畑に人が少しずつ集まり始めているような気がしています。
りんご畑は、正直です。よくイメージされる、理不尽さはありません。自然が、人間のコントロールできない領域のものであることは当たり前。事実です。理不尽というのは、道理に合わないこと、あるいは矛盾していること、筋が通らないことなどを意味する言葉です。少なくとも私は、りんご畑と向き合っていて、そういう気持ちにはなったことはありません。上記の通り、励ましてもらい、背中を押してもらっているのです。
私のように、りんごに助けられる人が、もしかしたら他にもいるかもしれません。そういう人たちが集まりやすいようなりんご畑が、ひとつの目指す姿なのかもしれないなぁと思ったりしています。
Writer:永井温子(株式会社Ridun代表取締役)