vol.3 北帰行。

この春に、ふるさとを離れることにした。感傷的になっている割にはどこか他人事のような、ふわふわとした心持ちで残りの日々を過ごしている。思い出したかのように降る大粒の雪や、土埃のにおい、北へ帰る白鳥たちの鳴き声が少しずつ春を運んでくる。

自分で決めたことなのに、どうしてこんなに辛いんだろう。やっぱりこのままでいられないのかなと思う日もあれば、新しい場所に行きたいと自分で決めたのだから自分との約束を果たさなきゃと思う日もあって、表面的にはいつも通りぼーっとしているだけのようで、内心大荒れでくたびれてしまっている(なお引越し作業は捗っていない)。

お客さんや仕事でお世話になっている人たちといつものように顔を合わせるのに、いつもと違うのは、会うたびに別れを惜しむ言葉を掛けられること。年度末の仕事もあいまって、弘前にUターンしてからの4年と半年の総集編を見ているような感じがする。



地元に帰ってきたばかりのころは「帰ってきたからには何かをしなければ、戻ってきた意味がない」という焦りがあった。はじめに地元を出た時は戻ってきたいとはあんまり思っていなかっただけに、自分のなかでの折り合いがついておらず、早く自身を納得させられるだけの頑張りをしなければならなかった。世の中や人々の役に立てなければ、ここにいる自分の存在を正当化できないのに。そんな矢先のコロナ禍で、自分の存在意義をまったく見出せない期間が長く続いた。社会に出たばかりの私はとても無知で無力だった。

最初は何をしていいかわからなかったけれど、その時にやれることをやっていくうち、あとから振り返ったところに自分の仕事と呼べるものや、自分の居場所があった。知らないうちに「自分はここにいるんだ」という納得感も、安心感も手にしていた。



4年ばかりで何かを成せたかはわからないけれど、今、こんなにもたくさんの人にさみしがってもらえたり、ありがとうと言われたりするということが、きっと、これまでの私が今の私にもたらした実りなのかなと思う。生まれ育った場所が弘前なので、必然的に弘前が地元、ホームタウン、故郷、実家、なのだけど。理屈を抜きにして、そこに帰りたいと心から思える場所を「ふるさと」と呼ぶのだとしたら、弘前はずっと私のふるさとだ。



この4年ほどかけて気づきつつあるのは、誰かや何かのため、みたいな大義名分めいたものを掲げて行うことだけが「何かする」の「何か」である必要はないし、ほんとはなんにもしなくても、目的がなくても、ただそこにいていい、ということ。

たしかに仕事が少なくなったら社会から遠ざかっていく感じがして困るなあと内心思うけれど、そんな時にはナンニモシナイがある。しばらくはナンニモシナイ時間があるのでぼんやりしながら、いつか、誰かのために小さな光を灯すにはどうするか、もやもや模索していきたいところ。



帰ってきたばかりのころに書いたエッセイを読み返してみたら、そのころの私が土地に根っこを張って生きることへの憧れと、どこか違う場所を求めて生きることへの憧れの狭間で揺れ動いていた。草花は自分で根っこを伸ばすし、綿毛になって風に吹かれて種を蒔くのも自分の役目。人間だって根っこを張ることも、風にまかせて身を委ねることもある。どっちかを選んで生きる人はかっこいいけど、そうなりきれないのも私っぽいな。私がそうしているんだっていう、「自覚的どっちつかず」もありかもしれない。



ふるさとを離れることにはなったけれど、幸いこの時代、どこにいても自分の好きな場所や人と関わる方法がいくつもある。どんな形でも、これからも私の好きな町や好きな人たちと関わりながら、少しずつ根っこを深くへ広げたり、種を蒔いたりしていけますように。

*北帰行:ほっきこう。渡り鳥の春の渡り。筆者がかつて暮らした、かの北の地へ再び戻ることを渡り鳥になぞらえて。

Writer:ワカナ

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