【Introduction】

「ナンニモシナイ」をめぐり、色々な人たちのもとを訪れて話を伺う、『失われたナンニモシナイを求めて。』というこの企画。1回目の旅の行き先として訪れたのは、青森県五所川原市にある「法永寺」というお寺です。こちらでご住職をお勤めになっている小山田和正さんのお話を、2時間ほど、じっくり伺いました。「ナンニモシナイ」という言葉から、小山田さんとともに僕たちは、いったいどんな場所にたどり着いたのでしょうか。社会の時間から遠く離れて。長い旅の記録を、お楽しみいただければ幸いです。

【登場人物】

〈たずねた人たち〉
アツシ(高橋)
シャッチョ(永井)
ヨッシー(久米田)
リッチャン(佐々木)
ワーチャン(戸崎)

〈こたえてくれた人〉
オヤマダさん
(法永寺住職 小山田和正さん)

【第12話】

支え、支えられて。

オヤマダさん
今やってる法人で、これ誰にも言ってないんだけど、なんでその「待つこと」っていうことが大事、今の自分の法人にとって大事かっていうと、あの、役割を、役割って与えられるものだって仮定してるんですよね。だからそれって与えられるには待つしかないじゃないですか。わかる…?

アツシ
うんうんうん。

オヤマダさん
だから、今までは、今までっていうかその、「あなた困ってますよね?」っていう感じで、あなた困ってますよねってこっちから行ってたんだけど。それずいぶん高飛車な態度だなぁって自分で感じてて。だから、助ける、力がある人には「助ける時」がやってくると思うんだよね。それをなんかずっと待ってるから。でも待つ、待とうと思った時に、その待つ態度っていうかさ…。

アツシ
あぁぁぁー。

オヤマダさん
それまたすごい大事になってきて、その法人として。

アツシ
はい。

オヤマダさん
うん、だから、それはすごく、意識というかどうしたらいいんだろうっていうのはずっと、考えてる、のかな。そういうことを。

アツシ
待つ態度って、難しいですね。

オヤマダさん
そう(笑)

アツシ
難しいところですよね(笑)

オヤマダさん
なんかこう、ね。

アツシ
そっかぁ…。

オヤマダさん
最終的にはさ、いろんな人が、を、支えたいっていうかさ、気持ちはどっかには持ってるんだけど、うーんと。たとえばこども食堂とか、さ、これもまたすごい難しいところがあるなぁって思ってて…。

アツシ
はい。

オヤマダさん
だから結局はあの、こども食堂っていう場を作ることによって、今だんだん誰でも来てもいいですよー、みたいな感じになってるんだけど。そういう場を作るってことは、そういう子供をまず探さないといけなくなるんだよね。

アツシ
うんうんうん。

オヤマダさん
それすごい本末転倒な話で。それ、それによって、「そういう子供」が作り出されているとも言える。

アツシ
なんか話聞けば、なんですかね…。誰かの、こう在りたい、っていう、自分が描く理想像から線を引いた、デザインに…。

オヤマダさん
そうそうそれ!まったくそれなの。

アツシ
そういうデザインに巻き込まれていく、ってことですよね、状況が。人が。

オヤマダさん
そうそうそうそう。


アツシ

あぁ…。

オヤマダさん
んで子供には、参加している子供には、そういう肩書きが与えられるわけよ。

アツシ
うんうん。

オヤマダさん
それが、すごく違和感があって。それは絶対にしたくないって思ってるのね。

アツシ
うんうんうんうん。

オヤマダさん
だけど、やっぱりこう、そうじゃなくて…。最終的には、んーっと、すごいこれもうぜんぜん、不可能なんじゃないかって思うんだけど、お互いに「支えて、支えられてる」っていうのを、っていうことを、デザインしたいんですよ。

アツシ
うーんうんうんうん。

オヤマダさん
だから自分は支えてるっぽいけど、実際は支えられてますっていう、ようなところが。お互いその助けると助けられるが、あの、区別がない、支え方っていうのはどういうかたちなんだろうなっていうのを模索してる感じなんだよね。

アツシ
そうなんですね…。

オヤマダさん
実際それができるかどうかもぜんぜんわかんないし。でも、それしかない、と思ってて。でもそれはぜんぜんキャッチーではないから。お金ももちろん入ってこないだろうし、それを支援しようっていう人も、なかなか増えてこないっていうのは、仕方のないことだけど、でもやっぱり、思いついたらそれに、挑戦していくべきなんじゃないかっていう、のもやっぱりあって。

アツシ
うーん。

オヤマダさん
だからそのさっきの待つ態度っていうのはすごく大事で…。

アツシ
はい。

***

【幕間 その12】

 一方に、助ける者、がいる。もう一方には、助けられる者、がいる。わかりやすい。とてもシンプルな関係性だ。でも、だけど、本当にそうだろうか? 助ける者が、だれかを、あるいはなにかを、助けたい、助けている、そんな自分で居たいから、居続けるために、助けられる者が、生み出されるのではないか。
 難しい問題だと思います。卵が先か、ニワトリが先か。そういうジレンマを抱えた、とても難しい、問題です。小山田さんは「支えて、支えられている、ということを、デザインしたい」と言います。曖昧で判然としない関係性の方へ。
 僕もそれが、善行に取り憑くジレンマを、解きほぐす糸口になると、考えます。

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