【Introduction】

「ナンニモシナイ」をめぐり、色々な人たちのもとを訪れて話を伺う、『失われたナンニモシナイを求めて。』というこの企画。1回目の旅の行き先として訪れたのは、青森県五所川原市にある「法永寺」というお寺です。こちらでご住職をお勤めになっている小山田和正さんのお話を、2時間ほど、じっくり伺いました。「ナンニモシナイ」という言葉から、小山田さんとともに僕たちは、いったいどんな場所にたどり着いたのでしょうか。社会の時間から遠く離れて。長い旅の記録を、お楽しみいただければ幸いです。

【登場人物】

〈たずねた人たち〉
アツシ(高橋)
シャッチョ(永井)
ヨッシー(久米田)
リッチャン(佐々木)
ワーチャン(戸崎)

〈こたえてくれた人〉
オヤマダさん
(法永寺住職 小山田和正さん)

【第13話】

待つことは、むずかしい。

オヤマダさん
あの、青森ではさ、私一人だったんですけど、「臨床宗教師」っていう肩書きがあるんですよ。これは、終末期の人たちの話を聴くっていう。

アツシ
あー。

オヤマダさん
んでそれは、その肩書きって、東北大で勉強してくるんですけど。んで戻ってきて、今はさ、もう一人増えて、今年増えたんですけど、ずっと一人だったんですよね。んでぜんぜんまぁその、営業もなかなか難しくてっていうのがあって。でもまぁ市内ではけっこう、いろいろこう、営業もしたんで、たとえば市役所の人が、あの、「こういう人がいて、お坊さんの話聞きたいって言ってる」とか。あるいは、老人福祉施設とか病院とかで、あるいは自宅療養してる人とか余命宣告された人で「お坊さんの話聞きたいって言ってる人いるよ」っていう感じでまぁ、コロナ前までは話がきてて。

アツシ
うんうん。

オヤマダさん
そうすると、あのね、「態度」なのさ。それが。だから「さぁ、あなたの話聴きますよ」じゃ、無理なの。絶対、話聞けないの。

アツシ
うーん…。

オヤマダさん
あのね、とにかく、暇な人、暇な…空気を出していかないといけないわけ(笑)

アツシ
あぁ…。

オヤマダさん
じゃないと、絶対できない、っていうか。んでそれが自分に達してるかどうかっていうと達してはいないけど、とにかくさ、「さぁあなたの話聴きますよ」っていうような態度で、行くと、絶対無理です、無理で…。

アツシ
あぁぁぁ…。

オヤマダさん
すごくナチュラルに、それはすごい難しいこと。だからそれは自分でもぜんぜんできていないだろうし。

アツシ
すごいですね…。

オヤマダさん
でもそれは、たしかにそうだなって思うんだよ。だからその言葉を、その人の言葉を待つ、態度、とかは、大事になってくるし。初めてそういう感じで出してくれたら、その人の支えにはなると思うんだよね、自分で出した答え、言葉だから。

アツシ
うんうん。

オヤマダさん
だけどこっちが、「え、どうですか!?」みたいな感じで行くと、こっちに呼応した言葉っていうのがその人の口から出て来て、それでその言葉は、その人を、助けないと思う。

アツシ
うーん、うんうんうん、そうですね。

オヤマダさん
だから、それを待つしかないんだけど、そこで「待つ」っていう態度がすごい必要になってきて…。

アツシ
いやぁ…。

オヤマダさん
そこ(笑)

アツシ
そこですねぇ(笑)

オヤマダさん
すごい難しい…ですよね。

アツシ
すごい難しい…ことですよね。

オヤマダさん
難しんですよ(笑)


アツシ

はぁー(笑)

オヤマダさん
それだけにすごい大事なんですよね。ちゃんと考えて、ないと。いつの間にか、「あなたの役に、私は立ちますよ」みたいなさ。それは、それはでも、今の法人に対してもやっぱりそういう同じ気持ちでいて。

アツシ
うんうん。

オヤマダさん
いやその、個人じゃなくて今度、法人だからさ。法人としての態度、っていうのはどういう感じかなぁっていうか。

アツシ
うーん。

オヤマダさん
たぶんその「ナンニモシナイ」とか、始めの話に戻るとだから、それが自分で、そういうのを目指すから、どうしたらいいかわかんないから、でもとりあえず、お金、の流れからは外れたい、だったり、時間の流れから外れたいとかあって。これは違うよねっていうところを、一つ一つ外していくしかないっていうかさ。こうだ、っていうのはないから。

アツシ
うんうんうんうん。

オヤマダさん
だから今ずっとそれを、それに何年使うかわかんないけど、それをずっとひたすらやっていくのかなぁと思うけどね。その中で、だんだんこう、見えてくる。「あ、たぶんこっちだろうなぁ」っていうかさ。あとはだんだんほら、こっち側に、さっきの「支えて支えられて」っていうかさ、そういうかたちがさ、たぶん自然に、出来てきたらいいなぁって思ってて。

アツシ
うーんうんうん。

オヤマダさん
そうなってくると、まぁたぶん、そっちの方向に行くんだろうけど。まぁ、そうね…。わかんないもんをひたすら、今の状態っていうのをわけわかんない、たぶんあの、他の人から見たらもう、ぜんぜん意味わかんない気持ち悪いみたいな感じの法人を、なにやってんだかわかんないような法人を5、6年続けていくんだろうなぁっていう(笑)

アツシ
あぁー(笑)

オヤマダさん
そういう感じはするよねぇ。

アツシ
引き算なんすね。

オヤマダさん
そうそうそうそう。そうやって探っていくしかない。だって誰もやったことないんだろうなぁって思うから。

アツシ
うーん。

オヤマダさん
モデルがないよね。

アツシ
うんうんうんうん。

オヤマダさん
そう。

アツシ
うん。

オヤマダさん
それをひたすらやっていくしかないっていうかさ。

アツシ
なるほど…。

オヤマダさん
うーん…。そういう感じかなぁ…。

アツシ
はい…。

オヤマダさん
(笑)

アツシ
ありがとうございます(笑)

オヤマダさん
いえいえ(笑)

アツシ
いやぁ…。そうですよね…。

***

【幕間 その13】

「聴くこと」あるいは「傾聴」ということの大切さが言われて久しいと思います。僕の知る限りですが、そのことを長い手紙のような形で最初に言葉にしてくれたのは、哲学者の鷲田清一さんであり、『「聴く」ことの力:臨床哲学試論』という書物でした。
 しかし、僕が言うのも筋違いかもしれませんが、鷲田さんがその書物に込めたかもしれない「祈り」は、現在でも、社会には十分に届いていないかもしれません。「聴く」ということは、人間関係を円滑にするための「スキル」としか、捉えられていない。
 現場で、あるいは「臨床」の場で、「聴く」こと、その前段階にある「待つ」ことの困難と取り組んでいる、小山田さんのお話を伺い、改めてその難しさを、思いました。

***

お話は、第14話「発酵する中動態。」に続きます。

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