シオリちゃん
なんか、その、お話を聞きながら自分で考えてたのが、その安定感みたいなことを、ずっとなんか勝手に考えてたんです。
リョウコさん
うんうん。
シオリちゃん
それでなんか、良子さんのお話を聞いてると、 自分の勝手なイメージなんですけど、この、石川っていう土地があって、そこで四季があって、それを何年も続けていく、全く同じではないけど、なんかそこで生活をして。
なんだろう。四季があることでこう区切りとか、が感じられるわけじゃないですか。なんか、良子さんの生活は、年輪みたいにこう、輪っかを描いて、続いていってるんですよ。でもなんか、私自体の、生活のイメージは、輪っかっていうよりも、ずっとこう、直線なんです。
リョウコさん
うん。
シオリちゃん
なんかこう、区切りもなく、ただ、同じように見えるけど、ちょっとずつ変わっていく、生活が続いてるんですけど。
なんか、直線って意外と安定感があるように見えるんですけど、実際はなんかそうではなくて、なんか、ただ、生きているだけが、続いた結果、線ができてるっていう感覚なんですけど。
リョウコさん
なんも若いもの…。これからの、生活で…。
シオリちゃん
私、安定感が欲しくて。
なのでなんか、だからそういう、昔みたいなって言い方おかしいけど、その土地にあった暮らし方をして、それこそ祝言みたいな、こう、儀式とかがちゃんとあって、なんか、自分が生きている実感を得れるとか、なんか日常が存在するなぁみたいな感覚が欲しくて。
リョウコさん
んだっきゃね…。
否応なく、良いか悪いかはともかくとして、この地域で暮らしてれば、 村の人とみんな関わっていって、例えば、冠婚葬祭とか田植えとかになればみんな集まって、あの、もちろん料理もこう、そこで、上の人が若い人にこう伝えていくんだけど。そのほかにこの生活の知恵っていうのか。んで畑のことでも「あれ植えだか?」とか「今度それ蒔く時期だよ」とかってこう、 集まれば会話を交わす中で若い人はそれ継承していくっていうのか。そういう、集落の中でそういう横の繋がり、親からも得るものがあるけど、そういう横の繋がりがすごく大きかったと思うんだよね。
で、私は特に母も祖母も、外で働く人で、そういうの出かけるのはもう中学校の頃から「おめいけ」って言われて。出て、ちょっとずつこう、その頃はまだそう覚えようとか、なんも意識ないけども、 自然に吸収ささっていって、それがこう、ここの土地に根付いてきたんだと思う。ここで生きていくってことで。んでやっぱり今の人、それがないと思うんだよね、あの、その土地のそういうのって。んだね、今の子供たちもその石川音頭もそうだけども。
ここの土地に自分が生まれてよかったと思う気持ちが、なんとなく小さい頃についてれば、例えば都会に働きに行っても学校に行っても、まるっと帰ってこなくても疲れた時ちょっとこう、自分の生まれたとこに帰ってきたいような場所になってくれればいいと思う、ここが。
今のここの人は、若い人は、あまりそういうのないでしょ。どこに行っても同じ、ここの場所でも、他の町に行っても、例えば東京からこう行けばあの、他のもう、どこに行っても同じような村、町。
シオリちゃん
はい。
リョウコさん
町の人も、ここの人もそうだけど、都会の人の贅沢と、田舎のこういう、土持ってる人の贅沢は違うと思うんだよね。 幸せとかそういうのでも、みんな同じに考えて、都会のその 便利な贅沢な生活に憧れて、そして、そこに畑あっても、耕すこともしないし。そういう時代になったと思う。
だから。今これからの時代、子供たちに、ここに生まれたんだっていうそういう、村になってほしいなと思うけど、思うだけで、なかなか、できないけども。
やっぱりな、土と接してれば、そういう感覚もこうね、今の人は、それはな。土に接しても接しなくても、みんなそれぞれだからいいんだけども、自然を感じるっていうのか。
年いってくれば、こう感じてくるし、自然にそうなってくるし、若い時はこっちみて迷ってこっちみて迷ってうろうろして、 私もそうだった。三十代、四十代まではもう、どこ向いていいのかわからない感じで。
だから、大丈夫だよ。
ね。こういう夫婦って本当にね、あったかそうで。
シャッチョ
本当ですか?(笑)
一同
(笑)
アツシ
うれしいなぁ(笑)
リョウコさん
同じ目的があって、畑やるっていうそれがあって、二人で一緒にやれるっつうのは最高だよの。
アツシ
うーん。ありがたいっすね、うん。
リョウコさん
不慣れで大変でしょうけどね。
シャッチョ
ふふふ、そうですね。