【Introduction】
「ナンニモシナイ」をめぐり、色々な人たちのもとを訪れて話を伺う、『失われたナンニモシナイを求めて。』というこの企画。2回目は、青森県弘前市石川にある「津軽あかつきの会」を訪れ、会長の工藤良子さんのお話を伺いました。
【目次】
まえがき(2023/8/14)
第1話(2023/8/15)
第2話(2023/8/16)
第3話(2023/8/17)
第4話(2023/8/18)
第5話(2023/8/19)
第6話(2023/8/20)
第7話(2023/8/21)
第8話(2023/8/22)
第9話(2023/8/23)
第10話(2023/8/24)
第11話(2023/8/25)
第12話(2023/8/26)
第13話(2023/8/27)
第14話(2023/8/28)
第15話(2023/8/29)
第16話(2023/8/30)
第17話(2023/8/31)
第18話(2023/9/1)
第19話(2023/9/2)
第20話(2023/9/3)
第21話(2023/9/4)
あとがき(2023/9/5)
2023年5月4日
【登場人物】
〈たずねた人たち〉
アツシ(高橋厚史)
シャッチョ(永井温子)
〈こたえてくれた人〉
リョウコさん
(津軽あかつきの会 工藤良子さん)
シャッチョ
なんか最近、あのボロ、ボロってあるじゃないですか。
ボロにすごい興味があって。
リョウコさん
うんうん。
シャッチョ
良子さんの家にボロって残ってますか。
リョウコさん
それこそほら四十歳手前だったから、そういうのもなんも価値もなんもわかんなくて、ほとんど処分して。
でもその後あの、五十代後半から、古い着物を集め出して、 結構あの、いい着物の古着、もらったり買ったり。どっかで古着市とかあればもう駆けつけて買ってきて、今、今度なんもできなくて、みんなごみになって。どうしようと思うんだけども。 やれないば捨てるしかないっきゃな。いっぱいあるの。
誰かそういう着物に興味ある人あればあげるよ。
シャッチョ
ほんとですか?
リョウコさん
なんかこうな、そういう、あの布でもの作ったりする人、 好きな人あるっきゃ。
シャッチョ
そうですね。でもそっか…。
リョウコさん
ほんとに昔のきれってまず、いいんだよの。繰り返し繰り返し。あのボロでもそうだけど、 もうボロボロになっても使えるっていうのか。
今の布は、なんぼ洗っても切れないし、切れないのはやっぱりダメだよの。
昔は洗えばボロボロになっての。
そういうのが本当のいいきれ、織物だと思う。
シャッチョ
ちょっと何冊か本を買って、ボロの写真は見てるんですけど。で、この前とか、青森市の資料館とか行って、展示とかのやつは見たんですけど、なんかちょっと小綺麗で、本当はもっとこう本当に、あ、 誰かがほんとにずっと使ってたんだなっていうのがわかるものを、ぜひ見たいなとは思ってはいるんですけど、なかなか出会えなくて。
リョウコさん
今の、ほとんど持ってない、処分してしまってるびょん、もったいないんだけどもの。
シャッチョ
はい…。
たぶん、作ることができないものだと思うので、簡単には。時間かかるものだし。同じ風合いを出すのに、三十年とか五十年とか、そういう単位で時間が必要だから。いやぜひ見たいなと思って色々回って、今度ちょっと、 三沢とかあっちの方にも行こうかなと思ってるんですけど…。
リョウコさん
昔の人の歴史っていうんだから、生きてきたそういういろんなことっての、この頃は、やっぱりいいなと思う。そういう生活に帰りたいとは思わないけども、 あの、考え方とか生き方とか。
今思い出して、話聞いた、年いった人の話聞いたの思い出しても、 一本筋が通ってるんだよね。ぴっとこう、女の人でも、 ただのうちで畑やって田んぼやって、炊事洗濯してきた人たちでも、家を守るっていうのか、ああいうのすごいなと思って、今改めて考えても。もうほとんどなくなってるけども。
んで「今の人たち、若い人たちかわいそうに」って。「お金ねば生活せねんで、 わぁたちは現金なくても春までちゃんと生きて、そして暮らしてきたんだ」って。「だって今の人なんだって、水飲んでも空気吸うってしてもお金かかるんだはんでかわいそうだよの」って、そういう言い方してらったの、私が話聞いた時は。
確かにの。
お金なくても暮らせたんだけど、今はほとんどできないし。
アツシ
実家の近くに神社があって、八幡様があって、大きいイチョウの木があるんですよね、六百年ぐらいの樹齢のやつがあって。
で、 小さい頃は、本当に、神社の屋根とかにも、こう、かかってしまうというか、すごいもう、枝葉を広げて、秋になると、もう、鮮やかな黄色になって、ほんとに綺麗で。落ちたイチョウの葉を、こう、踏みしめながら、その神社でよくかくれんぼとか、あと蟻地獄とか掘り返して、こう、遊んでたりしてて。
でも、 いつだったかな。「でもやっぱりちょっと危ないから」っていうことで、その、広がってた枝葉が、だいぶこう、 本当に、散髪するみたいな感じで、切り詰められてて、あーなんかちょっと悲しいなって思ってたんですよ。
リョウコさん
あぁ、うんうん。
アツシ
でも、つい二、三年前ぐらいに久しぶりに見に行ったら、でも、出てきてるんですよね、芽が。もう、随分伸びてて。まぁ、その、 本当に大きかった時に比べたらこじんまりとしてるんですけど、でも季節になれば鮮やかな黄色のイチョウの葉、になって。夏とかでも、春とかでも、青々とした葉っぱをつけて、暑い日差しから、その、遊んでる子供たちを守ってくれる。
で、そうですね、季節なれば、祭りもあって、小さい頃、出店とかも出てたし。夜に出歩けるっていうことが、あの、小さい頃だと、 あんまりなかったので、祭りは特別な時間で。子供会とかでも、 あれ踊れこれやれってなんかやって、なんかよくわかんないまま、踊り覚えて、ドジョウすくいとか、こう、やりましたね。
リョウコさん
うんうん。
アツシ
父親と一緒に、なんか急に「やるぞ」って言われて(笑)練習して。とか。
なんか、自分の中で、 木っていうか、巨木、みたいなものが、特別な、こう、記憶になってて。やっぱりんご畑にいても、すごい大きなりんごの木の下にいると、すごい居心地がいいんですよね、すごい安心する。 木の幹にもたれて、ぼーっとする時間がすごい、好きなんですよね。
うーん、だから、その、子供の時の記憶なんですかね、その、大きい木の下にいた安心感っていうものを、ずっとこう、 覚えていて、たまにやっぱ実家に帰りたくなるんですよ。その、イチョウの木を見たくなったり。
リョウコさん
うん。
アツシ
実家に植えてある、おっきい白木蓮の木があるんですけど、父親が生まれた時に祖父が植えたっていう木があって、それも見事にこう、綺麗な白い花を咲かせて。ほんとに、夜でも真っ白く、なんか光ってるみたいに、見えるんですよ。
なんかそういう、記憶があって、そういうのでいいんだなって、最近。その、なんですかね、やっぱ観光、今いろんな人たちを呼び込んで街を盛り上げていこうっていう、流れになってますけど。
でもまずはそこにいる人、暮らしてる人、生活してる人、にとって、 何かこう、記憶に、心に残る景色なり、 そういうお祭りの瞬間とか、お囃子の音とか、なんかそういったものを、大事に育てて、小さく静かに繋いでいく方が、 長い目で見た時にその土地が生き生きとしてくるんじゃないかなって、最近考えています。
リョウコさん
私も、子供たちはいずれ、仕事の関係あれば家から出ていくものと思ってるし、そうせば、何かあった時に帰ってきてほしい、疲れた時とかね、ちょっとこっちに帰りたいと思う時、帰ってきてほしいって。 親はいつまでも元気だもんでないし、ここにこうなんか自分たちが懐かしく思うものがあれば、いいんじゃないかと思って、木をいっぱい植えたんです。
ここの小屋もなかったし、そっちの車庫もここの小屋も全部、庭だったんです。だから、 「あんた植物園でない?」って言われるくらい、植えて。それを、あの、やっぱり手入れしてれば楽しいしね。今あの、あかつきのおかげで、そっち切るこっち切るして、みんななくなったけどね(笑)
一同
(笑)
リョウコさん
あの、もうほとんどなくなって、三分、四分の一ぐらいだべか最初の頃に比べれば。木もみんな切ったしな。仕方ないと思って、これやるって決めた以上は。
でも、畑にも大きい、イチョウの木が一本と、ヒノキの一本とあるんです。
これとこれは切らないでって。あとはみんな切っても、手入れ悪いば切ってもいいけど、 これ、ここの場所の、シンボルツリーだはんで、切らないでって。
最初、なんでイチョウ植えたかってば、 あの、イチョウの葉っていうのはすごく浄化作用あるの。土に対して。
アツシ
あ、土ですか。
リョウコさん
それであのイチョウ植えてその葉っぱを集めて、堆肥にこう混ぜ込んで、 そのためのイチョウだったんだけど、今それもやれなくなったから、あ、この木って、なんとなく、こう、 安心するっていうんだか。
葉いっぱい落としてくれて、今も。
落としてくれてるの。
アツシ
あぁ。
リョウコさん
だって自分の家庭を持てばやっぱり、家ってものを持てばな、なんかこう、 そういう気持ちの拠り所になるものがあればいいんじゃないかな。これから。木でもいいしなんでもいいんだけども。
さくらんぼもあってこの辺もすもももあって、子供たちそれ、勝手にこう取ってきたりしてて。それが今ちょっと記憶にあるみたいで「食べだっきゃの」ってしゃべったりもしてての。
今はできないけど。柿の木二本、三本残ってるだけで、あとみんな切ってしまって。
アツシ
あの、高台のりんご畑も、引き継いで、やってるわけですけど…。病気になってしまったとかっていう木を、今チェーンソーでこう、切ってるんです。
うーん、でも。考えますよね。なんかその刃を入れてる時、 この木に、前の園主さん、前の前の園主さんもいたのかな。でもその前の園主さんのご家族の記憶とか、思い出とか、なんかそういうのが、宿ってるんだよな、って。
もちろん、切るには切るんですけど。前と、やっぱり心持ちが違うというか。うーん、なん、なんですかね。難しい気持ちになりますね。なんか、なんとも言えないです。
リョウコさん
うんうん。
アツシ
でも、 畑を良くしていくとか、その、自分たちだけじゃなくて、他の人にとっても居心地いいようにって考えると、切らないといけないとか、切って形を変えていく。
先に繋いでいくために、僕たちもずっとやれるわけではないと思うので、いろんな人が来て、いろんな人が、そのりんごと、その、一緒に、 生きていきやすい環境づくりというか、そういう形で整えていくと、あの畑は、ずっと続いていくんじゃないかって、なんとなく思うところがあって、 やっぱり、うん、でも、難しい気持ちになりながらチェーンソーで切ってますね。
シャッチョ
何十年もかけてここまでになってんだよな、でも五秒で、輪切りにできてしまうから。すごい考えちゃいます。
リョウコさん
でもそういう感じを持ってる人が切ってくれるんだから、木も本望なんでないかな。
アツシ
だといいんですけど。
リョウコさん
なんも、遠慮なしにこう、機械で、ばばっとやられるよりも、やっぱり一応命のあるものだから。
アツシ
だといいなって思いますね。
うーん、しゃべれない、言葉は通じないけど、でも、まあ、同じように生きてるん、ですもんね。植物も。
***
「あとがき」に続きます。