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【Introduction】

「ナンニモシナイ」をめぐり、色々な人たちのもとを訪れて話を伺う、『失われたナンニモシナイを求めて。』というこの企画。2回目は、青森県弘前市石川にある「津軽あかつきの会」を訪れ、会長の工藤良子さんのお話を伺いました。

あとがき

 気づくともう、夏になっていました。

 寝苦しい夜に何度も眠りを妨げられ、ようやく朝を迎えたと思えば、数時間後にはアスファルトから立ち上る熱気に汗がにじんでいる。りんご畑も蒸し暑く、容赦のない日差しに肌を焼かれ、汗だくになりながら実をすぐる。

 暑さに消耗した体を休めるため、よくりんごの木の陰で寝転がります。仰向けになると、小さな子どものこぶしほどの大きさになったりんごの実が、枝からぶら下がっています。葉と葉の隙間から、青い空が見えます。木陰を吹き抜ける風は涼しく、火照った体を優しく鎮めてくれます。

 目を閉じ、息をします。葉っぱの擦れる音、虫の羽音、鳥のさえずり、ほかの人たちがおしゃべりする声が聞こえてきます。自分の中で取り留めのない考えが浮かんでは沈んでいきます。息をするたびに、少しずつそれらは意識から外れていきます。自分は今ここにいるという感覚すらも、少しずつ輪郭を失っていきます。気づくと、眠りに落ちています。

 目覚めると、消耗していた自分が少なからず回復しています。猛暑によってぼやけていた意識が力を取り戻しています。

 りんごの木の陰から抜け出し、そしてまた、農作業に戻っていきます。

 

 良子さんと初めてお会いしたのは、二〇二一年の秋でした。

 津軽あかつきの会にお世話になっていた妻から「会長の良子さんがいっしょにお家探してくれるから、急で申し訳ないんだけど石川に来れる?」と連絡がありました。お話は妻からよく聞いていたので、僕はちょっとドキドキしながら車で良子さんのご自宅に向かいました。

 良子さんは、小柄で、でも存在感があって、すべてをまるっと包み込んでくれるような語り口で静かにお話する方でした。

 あぁ、この人が会長さんなのかと僕は思いました。

 その日、三つほど空き家を回りましたが、残念ながら条件に合うお家は見つかりませんでした。その後僕たち夫婦は、弘前の中心街と石川のちょうど真ん中あたりの地域にある家を借りて、新しい生活をスタートさせました。

 二〇二二年の春のことでした。

 

 二〇二二年の秋、津軽あかつきの会の「祝言料理再現を通じた津軽の文化継承事業」の一環で、僕たち夫婦は、花嫁と花婿の役を務めさせていただきました。結婚式を挙げることを考えていなかった僕たちにとってあの「祝言」の時間は、本当に忘れられないものです。

 もてなす側、もてなされる側。祝う側、祝われる側。会場となった古民家の間取りも相まって、そういう境界が溶けていき、どっちがどっちなんだ、という意識も曖昧になっていく。そんな不思議な感覚を覚えました。

 良子さんが言っていた「あったかみ」ってこういうことだったのかなと、あの祝言の日のことを思い出し、今でもふと思ったりします。

 

 文字起こしが終わり、かたちになった原稿に一通り目を通して、けして読みやすいものではないかもしれないと僕は思いました。自分の価値観や経験知ではすんなりと受け入れられない言葉もありました。

 でも、それでいいんだ、とも思いました。

 生きていると考えなければならないことがたくさんあります。

 迷いや不安、苦しみは、際限なく湧き出てくる。

 でも、粘り強く考えを続けるなかで、僕たちは、少しずつ逞しく、図太くなり、なんとか生き延びていくことができる。何度も転び、傷つき、身を横たえ、人知れず涙を流しながら回復の時を待ち、なんとか現実に折り合いをつけ、再び立ち上がって、また前を向いて歩いていける。

 そういう時、僕はまた、良子さんの言葉に戻っていくんだろうなと、思います。農作業の合間にも、思い出すんだろうなと、思います。

 

二〇二三年八月一〇日 高橋厚史

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